飛騨2日目、この日は朝食前に縁ある神社2か所に参拝です。

1箇所は高山市郊外なのでタクシーで行こうと6時半過ぎホテルを出て、目の前の高山駅前タクシー乗り場を見るとタクシーは0台。ホテルに戻ってフロントでタクシーを呼んでもらいました。待つ事15分、大急ぎで出勤の準備をした様子のタクシー着。行き先は新宮神社です。

20分ほどで新宮神社着、タクシーを待たせて鳥居をくぐり階段を上ると拝殿がひっそりありました。

写真

(Oomuraさんのサイトよりお借りしました)

手水舎の水は止められていて、拝殿も門が閉まっています。飛騨の古い言い伝えでは、ここは高御産巣日神(高木神)の三男が住んでいた所との事。

私はこの高御産巣日神(高木神)と縁があるので今回初めて新宮神社を尋ねたのですが、何だか悲しい気持ちになりました。写真を撮るのも忘れて参拝を済ませ、タクシーに戻って次の神社飛騨大神宮に向かいました。

飛騨大神宮への参拝を勧めて下さったのは、ご先祖のお墓の側にある高田神社の宮司さんTさんです。Tさんは神社庁支部の事務長もなさっていて、私の父の祖父が飛騨大神宮の祠司をしていた事を発見し教えて下さったのです。

飛騨大神宮は明治始めに出来た伊勢信仰の神社です。私はガラス写真で見た、神事の衣装を着た長い髭の曽祖父の姿を想いだしながら、静かで幸せな気持ちで参拝をし、ホテルに戻りました。

昨日は食事をしっかり食べられなかったので・・・

朝食はホテルのビュフェでご覧の様にしっかり食べました。和食が充実していて野菜料理が沢山あり助かりました。

遅い朝食後、出発前に高山市内の花屋さんに配送をお願いしていたお墓の花束とブーケを受け取り、列車とタクシーでお墓のある飛騨古川の太江に向かいました。太江は今は墓地しかありませんが曽祖父の時代までは家や山もあった場所です。

墓地の側にある高田神社はその周囲に古墳群の後もある古い古い神社です。、高御産巣日神(高木神)が住んでいた所と言う飛騨の言い伝えがあり、現在の祭神も高御産巣日神(高木神)です。

神社の境内にあるこれは・・・

古事記や日本書紀にある「葦原中国の平定”国譲り”」の雉名鳴女の石碑です。雉名鳴女は出雲に偵察に行き弓で射殺されるのですが、飛騨の言い伝えでは雉名鳴女は高御産巣日神(高木神)の娘と言われており、現在も飛騨では雉を殺さないのだそうです。

そしてこの雉名鳴女の姉、高木神のもう一人の娘が、織物の神様と言われている”萬幡豊秋津師比売命(よろづはたとよあきつしひめのみこと)なのです。織物の神様となった方が育っただろう場所がご先祖のお墓の側にある神社だったとは。私がこれを知ったのは10年ほど前なのですが、何か深い縁を感じ故郷を想う気持ちが強くなりました。

高田神社に参拝後、宮司さん宅を訪ねてご挨拶し、お墓参りを済ませ、地元の旧家宅を訪ね故郷の歴史を聴き、墓地の草刈りをお願いしたお宅にお礼に伺い、夕方ホテルに戻りました。

長い1日でした。