糞掃衣完成10 座具 の続きです。

私が袈裟に興味を持ったのは2005年に手にした1冊の本でした。

当時横浜の絹の会社の手伝いをしていた私は、その会社の歴史を調べにフランスのリヨンにあるテキスタイル・ミュージアムを訪ねました。その時ミュージアムショップで目に止まり、買ったのがこの本です。

この本はフランスで開催された江戸時代後期の日本の袈裟展のカタログで、フランスに渡って保管されていた当時の袈裟の写真や・・・

このような袈裟についての説明図、簡単な構造、使用された布の分析まで添付されたカタログでした。

袈裟は僧侶の衣ですが、それを敷いて寝具にもする、多目的でミニマムな四角い布、

そして足るを知るこの四角い布”袈裟”は、使い古しの布をパッチワークして作られるのです。

でもリヨンで買ったこのカタログには、錦・金襴・模様織等々の豪華な布の袈裟ばかり。不思議に思っていたのですが、その答えが袈裟縫いを習い始めてから分かりました。

この奈良時代の須菩堤像(興福寺)が着けている袈裟・・・ 私には遠山か雲の糞掃衣に見えます。

お釈迦様が質素&ミニマムと提唱され生まれた袈裟ですが、時が過ぎるうち立派な布でも作るようになり、江戸時代には袈裟は金襴緞子の世界になっていたようなのです。

江戸時代後期、仏陀自身の行じた法こそ仏教の本旨と考える「正法思想」が起こり・・・

「正法律」の開祖”慈雲尊者”は、袈裟の原点についても研究し「方服図儀」という本を著されました。そして「千衣裁製」と言う、原点に戻った正しい袈裟を一千領制作の発願をし、それが尊者の遷化の翌年に完了したのだそうです。

当時制作された袈裟の一部が大阪府の高貴寺に保管されていると本にあったので、「お袈裟を縫う会」でそれを話すと、何と住職様はそれをご覧になった事があると! それは信じられないような針目の無地の袈裟で、糞掃衣も何枚かあり、全部に梵字の通し番号が刺繍されていたと、話されました。

高貴寺蔵のこの袈裟の写真、糞掃衣で「遠山と雲」の形の布が散らしてあります。

同じく高貴寺蔵のこの糞掃衣、芯地の上に古布をアブストラクトに一面に敷き詰め、刺し子は平行直線でなく自由自在の運針です。

私が袈裟縫いのテキストにした本、この中心になっているのは「袈裟の研究」沢木興道監修・久馬慧忠編です。

沢木興道老師は明治から昭和の曹洞宗の僧侶ですが、老師がかねてから心を非常に引きつけられていた”気持ちよく針目の通った如法衣(袈裟)”、それを着けた真言律宗の尼さんにあるお通夜で会ったのだそうです。

聞けばその尼さんは慈雲尊者の四代目の法孫にあたるとの事、それから沢木興道老師の袈裟の勉強が始まりました。

糞掃衣は最初縫い方が分からず、高貴寺から見本を借りる事も出来なかった。尼さんのつてで慈雲尊者の最初の道場・長栄寺にも当時の袈裟があるのが分かり、そこから借りる事が出来た。そしてそれを見本に老師を尊敬するご婦人が最初の糞掃衣を縫ったのだそうです。

糞掃衣を着けた「袈裟の研究」の編集者、久馬慧忠僧侶。

織物の技術もそうですが、袈裟の縫い方も記録しておかないと、直に分からなくなってしまいます。私が今回延々と糞掃衣の縫い方をブログにアップしたも、一つの記録となって欲しいの願いがありました。

さて私が縫い上げた糞掃衣九条、

高野山真言宗の婚家の菩提寺に寄進したのですが、その日住職はその糞掃衣を着けて、本堂でお経を上げて下さったのです。

糞掃衣は大きな儀式にしか着けない袈裟と聞いていたので、桐箱に納めたまま仕舞って置いて頂けるだけも嬉しいと思ってい私は、ただただ有難さで一杯でした。

そして、その上、写真を撮らせて下さったのです。

顔を隠してならブログにアップを承諾下さいましたので、ここにご紹介いたします。2本の肩紐を結び、このように掛けて着けます。

後ろから見ると、このようになります。

軽くて身に沿い着け易いとのご感想。軽く仕上がるよう芯地と裏地をシルクオーガンジーにしたのは成功でした。この糞掃衣の重さは632gです。

20年近く前にフランスで知った袈裟の世界、自分の手でこうして縫い上げられ、嬉しさで一杯です。

心身共に清らかにして、一人静かに無心で袈裟を縫う、それは本当に幸せな時間でした。

お釈迦様の説かれた袈裟への心は、自然に感謝し自然と調和して生きる生き方、私にはそのように思えました。