前回のブログから2週間以上過ぎてしまいました。9月1日から織物再開で忙しかった事もあるのですが、その他にも色々あり、夕食後横になり気が付いたら翌朝、そんな日が続いていました。今日ようやくこの2週間を振り返り、それが私の新たな生き方を促してくれた日々だったのに気付きました。

台風の影響で続いた大雨の後の9月2日、この家を設計した建築家内藤廣さんから「箱根に来ているので在宅なら寄りたい」の連絡がありました。

内藤さんは建築家としての仕事だけでなく、その側ら東大に10年(教授&副学長)、3.11の復興に10年(ボランティアで10年で250回通った)、昨春からは多摩美術大学の学長までなさっています。私はどうしてこんなに沢山の仕事が出来るのだろう?その行動力を生み出している源は何なのだろう?と常々思っていたので聞きたい事が一杯でした。

お話して沢山の発見があったのですが、私流の解釈で要約すると・・・資本主義は行き詰っている、3.11くらいでは日本人は目覚めない。日本が根底から覆えされるような事が起こり、社会がメチャメチャになり、泥沼を這いつくばって、そこから今までの延長線上でない新しい文明文化が若い人の間から生まれて来る気がする。自分はそれを見届けてから死にたいが時間が足りないかもしれない。美大生の自由な発想に未来を感じている、その若者達のために大学を変えたい、なのでもう少し頑張りたいと思っている。

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私が近年作品の発表をしていない話になり・・・展覧会はエゴ(我執)と競争が渦巻く世界。それは自然・素材・技術と一体となり想像・創造・制作する自分とは別な世界で、自分は製作をして発表もする自分にはとてもなれない。なのでこの「織の家」で一人静かに制作しながら自分の周波数を放ち続けたい、それは同時に社会への発信にもなるのではと話すと、内藤氏は「それで良い」と頷かれました。

そう、台風の後のあの青空の雲のように、私は自由で力強く何にも囚われないで生きて制作したい。何があっても動ぜず自分の周波数で生きて、新しい時代への架け橋となりたい、そう思ったのでした。