先生の部屋のソファーに座って、改めてまわりを見て、部屋の中が何となく雑然としているのに気付きました。 先生が病気になって、お世話をしていたNさんや親しい方が連絡しても、何か月もお返事も来なかった養女の方が、先生の部屋からものを持ち出した後だったのです。

Nさんがコーヒーをいれて下さり、紙箱に入ったお菓子をすすめて下さいました。先生の生徒だったフランス人の方の手作りマルメロのゼリーでした。彼女は先生の病気を知って、写真や手作りのジャムやゼリーをブルゴーニュから送って先生を元気づけてくれた、と、Nさんは話されました。

冷蔵庫にあったそのジャムの内、表面にカビの出ていない瓶が全部なくなっているのにNさんが気づき、私達は胸が締め付けられるように悲しくなりました。

ソファーテーブルの上にあった、刺しかけの刺繍・・・

身体不自由になった先生の、楽しみや励みに始めたとのこと。

王様とお后様

先生の自画像

Nさん

現役時代の先生の手のようではなくても、確かな目とその表現に感動です。

☆☆☆

Nさんがソファーテーブルの上にあったイケアのブルーバックから、白い民族衣装を取り出して見せて下さいました。民族衣装が好きでコレクターでもあった先生が縫いかけていたスエーデン・スコーネ地方の民族衣装、それをNさんが先生のエンディングドレスとして仕上げた白いドレスでした。これがその元になった本です。

Nさんは縫っていて、自分もこんなドレスを着てお棺に入りたいと思ったと。 私もこんなドレスを着て旅立ちたいと思う素敵な麻のドレスでした。  質素なのに気品があって美しい、

訳あって亡骸には着せられなかったけれど、せめてお棺に入れたい・・・

先生の遺品は全て養女の方に行くので、先生の部屋に残されたものも古道具屋行きの運命かもしれません。Nさんはマルメロのお菓子をバッグに入れ、私に「これを持って帰って」と、瓶を手渡しました。

先生がNさんの手を借りながら作ったハーブソルトです。

ホームの庭のハーブが一杯!

養女の方が片づけは全部するとなり、他の人は遺品に触れられなくなりました。 本棚一杯の専門書はどうなるのでしょうか? 大学勤務の教え子を通して寄付の予定だったので、せめて専門書だけ箱に詰めて連絡先を書いておいたら、と、最初私は思ったのですが・・・  Nさんをはじめ最後までお世話した方々は傷ついおり、私もこれ以上事を荒立てたくないという気持ちがどんどん大きくなりました。

Nさんと私は何もしないで、ゼリーとハーブソルトだけを持って先生の部屋を後にしました。

そして、その日先生の部屋の鍵を忘れたNさんは、翌日鍵を返しにホームへ行き、部屋に置きっぱなしだった民族衣装のエンディングドレスもそっと持ち帰ったのです。次の週に行われる納棺の時にお棺に入れるために。